《風俗ガイド》詐欺行為をしている風俗業者に注意ブログ:14年07月20日
母は何でも自分で作る人でした。
スーパーで売っている出来合いの惣菜や、
インスタント食品は我が家では禁止。
その頃、
テレビでインスタントのとんこつラーメンやカレーの宣伝が
盛んに流れていました。
ダメと言われるとよけい食べたくなるもので、
テレビのCMを見るたびに、
いつも食べたいと指をくわえていました。
お菓子なら目を盗んで買い食いできましたが、
ライスのおかずは何でも一から手作りされてしまい、
子どもにとってはいつも残念な気分でした。
兄とは並んでよく料理の手伝いをしました。
ゴマを香ばしくすったり、
茹でたじゃがいもの皮を剥いてマッシュするのは
子どもの係りだと思っていましたから…
母は必ず自分で作ったものを、
一番おいしい状態で食べさせてくれました。
それが当たり前という感覚だったようです。
得意の天ぷらは必ず熱いまま食卓に出てきました。
狭い台所だったのに、まるで魔法のように
次から次へと揚げたてが並ぶのです。
揚げたてを
おいしいうちに食べさせてあげたいという母の思いは、
そのまま料理のおいしさになっていたと思います。
親父はサラリーマンで、
毎日だいたい決まった時間に帰宅しました。
親父が風呂から上がると家族そろっての夕方食。
親父には俺たちとは違う一品が付いていました。
今思えばその一品は晩酌用のお酒の肴だったのでしょう。
素材そのものが違うこともありました。
例えば、
俺たちがあじの焼き魚の時、親父は蒸しかれいという具合い。
たまに親父がほんの少し料理を分けてくれるのですが、
それがすごく嬉しかったことを覚えています。
我が家には「親父の一品」が
いつも自然なものとして食卓に存在したのです。