《風俗ガイド》昔ながらの風俗と言えばのぞき部屋ブログ:21年06月23日
十年前、元気だった母親が倒れた。
脳出血だった。
命は助かったが、右手足は不自由なからだとなった。
幸いな事に、
言葉、記憶などには不思議なほど支障がなかった。
助かってみると、
この事が母親自身の苦しみにもなり、
介護するわたくし達の苦しみにもなっていった。
「お前には分からん!」
わたくしにぶつかる母親は、わたくし以外にあたる人がいない。
2年前にパパは他界していた。
1年の入院生活から退院する時、わたくしは心に決めた。
「よし、とことん母親とつき合って、
笑顔を取り戻すまでは、パパのところに行かす訳にはいかん」と。
医師には無理だと反対されたが、
母親の家を改造し、
デイケアの施設にお風呂を入れてもらう約束をもらって、
母親の希望どおり自宅に帰った。
母親の願いはほとんどやってあげたが、笑顔は戻らない…
五年が過ぎた頃、施設でリハビリの先生に出会った。
「ちょっと簡単な手芸をしてみない?」
「いや!できない」
「できる所だけでも、まあしてごらん」
押し問答が何日かあった末に、
デイケアの日に、しぶしぶ左手を動かしてやってみたが、
母親の思うようにはいかなかったらしい。
でも、あの日の事は忘れられない。
デイケアの車から降りると…
「これ」と、
母親がバッグの中から出したのが、小さな花。
色紙を型の中に押しこんで紙絵にしていく手法のものだった。
「ウワー!できたじゃん」
わたくしは大げさに喜んでみせたが、母親はいつもの顔だった。
だけど、かすかにその中に笑いを見たような気がした。
それから、一作、二作、三作…作品が増えるにつれ、
少しづつ笑顔が出るようになった。
そして、心から
「ありがとう」の一言が
自然にクチをついて出るようになった。
この言葉を聞いた日、
わたくしの目が涙でかすんだのを今でも覚えている。